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著者注:ここでいう「試合」とはその勝敗が明確な影響を及ぼすものをいう。


卓球、それ自体をする目的は自己満足だろう。
それはプロにおいても変わらないと思う。

ただ、
試合をするそれ自体の目的は勝つ事である。
試合に出たら勝たなければ意味はない。
試合は卓球ではない。
卓球の試合は「試合」の手段として「卓球」を使っているだけの事。

「入試が学問でない、のと一緒」
これに違和感のある人はこう考えると納得かな…

で、ともかく試合には勝たなきゃならない。
では、卓球を使った試合の勝ち方…
1.相手よりミスをしない。
2.相手より先に点を取る。
3.試合を長引かせない。
ね、単純極まりなくて困る。

で、それをもっと具体的にはどうするか、なんですよね。

これも単純。
1.現在の試合で統計的にunforced errorsが少なく、且自身が得点しやすいパターンの試合展開をする。そして、相手の球をい一つでも多く返す。
2.リスクを恐れずに臆せず間髪いれずに攻撃する。
3.最初のチャンスで確実に決める。

はっきり言ってこれが確実に出来るようになったら今頃俺は「愛ちゃん」より有名人、というかかの偉大なるJ.O.Waldnerよりも伝説を作っている。

でも試合になったらこれを終始意識しているのは確かだ。

試合になったらこれしか考える事はないはずである。
何故なら試合は
勝つために存在するもの
だからだ。

「自己」の出る幕は原則ない。
出すことは負けにつながる。
ただし例外として消極的自己が活性化しようとする時はその作用を完全に打ち消すために逆に多きく積極的・攻撃的自己を前面に押し出す必要はある。

そこで「意固地」とか「美学」とかはいらない。
ただ勝つ。
それしかない。



別に人は十人十色とか言うからそうじゃない人はいるだろう。
別にそういう人に死ねとか言っているわけではない。
でも敵か審判以外として同じコートを取り囲むのは個人的に無理だ。
だって僕はそういう人間なんだもん。
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こちらでは始めまして。
確かに試合は勝たなければ意味はないと思います。いくら努力をしても、それが結果に結びつかなければ実証はされない訳で、スポーツにおいて努力を実証する場は、試合であると思うから。
でも、<「試合」は「卓球」ではない>という考え方には、私は賛成しかねます。だったら、しを君は何故「試合」に出ているのですか?「入試は学問ではない」ということと同様に卓球の試合を捉えるという捉え方からは、卓球を、勝つために存在する「試合」で勝つための単なる手段としてしか見ていないような印象を受けます。しを君は卓球が好きなんですよね?
私は、自分の個性を出したプレーをして、自分の力を「試す」場が試合であると思っています。そして、大前提は、卓球を楽しむことだと思います。まあ、人それぞれの考え方がありますから、否定はしませんが。
好きなら、まず楽しまなきゃ。(^^)
この記事を読むと、今のしを君は、それこそ「入試に挑む受験生」のように、勝つことにこだわりすぎて、卓球そのものを楽しむという部分に欠けてしまっているような気がします。
出すぎたことを言ってしまったのならごめんなさいね。
しを君にとっていい結果が出せますように。
砂川恵 URL 2006.06.06 00:07 edit
どうもどうも
言いたいことは良く分かるの。
シングルスなら僕も楽しく試合する事を第一に考えてるよ。
でもなんかダブルスと団体戦ではそういう風に考えられなくなってきてる。
正直ダブルスでの意思疎通に悩んでたからそういうことを考えなくてもいいようにこの図式を作っちゃったのかもしれないし、団体戦の責任感からの逃避のためにこの図式をs使ってる感は否めないんだよね。
もっと試合自体を楽しめるようにならんとね…
今年の春頃まではそうだったんだけど最近ちょっとスランプ気味な所はある。
そういう今に焦ってああいった考えをしたのも確かかもしれない…
ちょっといいすぎだよね (。・x・)ゝ
でもだんだん復調してるから大丈夫です。
2006.06.09 01:51
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