忍者ブログ
123

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

高1の時のエッセイですが今でも主張が変わっていないということはそれだけ世界も変わっていないってことなんでしょうか…
PR
少なくとも生きるということの意味を考えることは無意味であろう。
生と死は等価値のものであり、その間の差異を普遍的に定義することは不可能だからである。
生きているときには少なくともactionは存在していそうである。
少なくとも生の間に身体の移動は個人個人ではあっても全体として認知されている。
もちろん何もしない、というのも一つのactionであることはお分かりいただけるだろうが。
ではそのactionの意味づけというのは何なのであろうか?

ここで自分はghostとshell/dollが乖離しうるという視点に立っているということを念のため述べておく。

全ての行為は自己回帰的であり自分の心が“傷つく”ことを防ぐものであると思う。
ここでいう自分の心というのは自分の中の自分であると同時に他者の中の自分でもある。
他者が自らに望む行為をしなければ、「他者の御めがねにかなわなければ」他者の中の自分は傷つけられていくわけだし、それを恐れることが最終的にはアクションを起こす起こさないの判断をしているのだろう。
しかし、事実社会というstand alone complexの中で人の心は傷つけられていく。
それを防ぐことができない、そこにその個人の心の欠けた部分があるのであり、人間はその部分を補完して自らの心が傷物になることを少しでも防ごうとする。
おそらくそれが愛であり、それを具象化させ、そこに子孫という付加価値をつけたものがsexual intercourseなんだろうよ。とりあえず心の補完である「他者と一つになる」錯覚は暫くの間は味わえるからね。
最近のイスラエルには呆れ返る。
正直2人拉致された報復が300人の死者というのは誰が見ても言いがかりをつけてるかあるいは首脳部がみんなパラノイアなのかのどちらかとしか思えないだろう。


ちょっと気になったことがある。
イスラエルはユダヤ人の国。
で、彼等は選民思想を持ち、イスラエルを含む一帯を約束の土地と信じている。
彼らの教典にそう書いてあるからね。

つまり、
今彼らがやっていることを彼らの論理で考えれば、
自分達の棲むべき土地に存在する異物の排除、であり
世界を誤りの状態から開放し、浄化している、
この動きと対立する者達が暴力を使用するからやむなく我々もそれと同じ種類の力を以って彼らを圧倒しなければならない、
とも考えられる。

で、
問題はここから。
書物に記されている事を現実化させようとするために、
それを阻止しようとする勢力と同種の力によって対抗する。
これってどこかで聞いたことあるよね。

ユダヤ人 → ゼーレ
約束の土地 → 人類の補完
旧約聖書 → 裏死海文書
敵 → 使徒
暴力 → EVA
出エジプト → セカンドインパクト

ね。
つながった。

このリンクに気付くと色々これから何が起こるか不安になってくるよね…
これ以前のブログからのサルベージ
これ以前のブログからのサルベージ
  top  
忍者ブログ [PR]